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母のこと(長文)

久しぶりの更新になりました。(っていつもか…)

永い寒さが続き、この国に春は訪れないのだろうか…と思いかけたころ、
梅の花が街に彩りを与え、桜の開花で春を待ちわびた人たちに元気を与え、
そして新緑の芽ぶきとともに、一斉に花々が咲きはじめました。

ほんとに…良い季節になりましたね~

1カ月ほど前、私たちは母の誕生日のお祝いをしました。
母が一番行きたいところに行こう!と親子三代で温泉へ。
母が一番好きなお寿司を食べ、
私と姉とオットがお金を出し合って、ダイヤの指輪をプレゼントしました。
本人いわく、「もう、最高の誕生日!」と…

超多忙な牧師にも関わらず、いつも温かく支えてくれていた母。
子どもが病気になると自分の都合そっちのけで「しーちゃん仕事でしょ?私が預かってあげるから!」と電話がかかってきたり、
私が落ち込んでいたときには、「あのね、この世の中には解決できないことなんてないの。この世の中で起こったことはこの世の中で解決できるから」と励ましてくれたり、

母の65歳のバースデー、一緒に温泉に浸かりながらゆっくり話す時間を持てたとき、
私が親孝行できるのはこれからだな、と改めて感じた1日でした。

そしてそれから4日後。
母が倒れて救急車で運ばれたという連絡が入りました。

大丈夫、すぐに「心配させてごめん」って帰ってくるよ。
疲れが溜まってるだけだよね、寝たら治るよね。

病院にかけつけると、聞かされたのは

脳内出血だということ。
右脳に大量に出血し、もしかしたら左半身不随になってしまうかもしれないこと。
幸いなことに発見が早かったため(2時間以内)命に別条はないとのこと…

それからのことは、今思い出しても遠い記憶です。
長い、暗い、出口の中を光を探しにさまよい歩いていたような…

会社帰り、会社のドアを出た瞬間に涙が溢れだし、泣きながら病院に通う日々でした。
IUCに入る前に涙を拭いて…、母の前に行くと号泣。
チューブにつながれ、苦しそうに横たわっている母のよこで泣き続けているだけの私。
耳は聞こえていますよ、と教えてもらっていたので、何か元気に明るく話かけなくちゃ。
「大丈夫だよ、すぐに元気になるからね!」って話かけなくちゃ。
そう思っても出るのは涙だけ。

不憫に思ったのか看護師さんが来てくれ「○○さ~~ん!娘さん、きてくれましたよ~~!」って耳元で大きな声で母に話しかけてくれても、無反応。
もう、母とおしゃべりできる日はないの?
元気に、孫たちと公園を走り回ることはないの?

でも、母は私の聞こえるか聞こえないかの呼びかけには、ちゃんと反応してくれたんです。
麻痺でまわらない口で、「しー…ちゃん、き…て…く…れた…の、、、、あり…が…と」

目を開けることはなかったけど、
あぁ、母はがんばってるんだ。
たくさんの記憶はちゃんと持ってくれてるんだ。
私もまだ、母の中にいるんだ。

大丈夫、大丈夫。

そうやって自分を励まし、病院に通い続けました。

そして春の訪れとともに、母の容態も日々、良い兆候が見られ始めました。

まだ目は見えてないけど、頑張って目をあけられるようになった。
毎回、「きてくれて、ありがとう」って手を握り返してくれるようになった。

食事は相変わらず点滴と、胃に直接流す栄養剤。
いつ一般病棟に移れるかもわからない。
でも、昨日より、一昨日より少し、反応がよくなってきている。

あれ、お母さん目がちょっと見えてる?
ミクが描いた絵をぼーっと見てる。
次に来るときにはお花を持ってこよう。
ん?何々?生きている方の右半身が痛くて眠れないの?じゃー、マッサージしよう。
母の大事な右半身を、病院にいる時間ずっとマッサージし続けました。
右半身にはこれからずっと頑張ってもらわなくちゃいけないから。

そんな日々を続け、ある日いつものように病院に行くと、母が一般病棟にうつっていました。
母の前には、お食事が。
「お母さん!ご飯食べられるようになったの!?」
それは離乳食で言うと初期の、どろどろとしたものが3つの器に入っているだけのものでしたが、
自分の口から食事を摂れるということが、とても嬉しかった。

まだ水すら飲めなかったときに、何度も水を飲みたい…と懇願されて辛かった。
「おかあさん、治ったら何が食べたい?おかあさんが一番食べたいもの食べに行こう!」というと
「パンとコーヒー」と答えた母。
はたしてそんな日がくるものか、、と思いながらも「じゃぁ、一番美味しいパンを買ってくるから!」って約束しました。
自分の口から食事を出来ることになったということは、美味しいパンとコーヒーへの大きな一歩。

そして今までまったく考えたことのないことでしたが、

人間は、自分で食事を出来る、排せつが出来る。

それが、人間の尊厳を守れるラインなのではないかと…
人の手を借りてではあるけれど、それらが出来た日、何よりの嬉しい出来ごとでした。

今では、離乳食中期程度のものを食べられるように。
でも…父は…フライングして内緒で「パンとコーヒー」を与えていました(笑)

体の方も、半身は相変わらず動きませんが、車イスで移動したり、歩行器を使って自分で歩く為のリハビリも始まりました。

話すこともびっくりするぐらいの回復を見せ、もしかしたら牧師に復帰できるかも!?という希望も、少しだけ持てるように。

一か月前には考えられなかったぐらい、急激な回復を見せてくれた母。
本当によかった。。


今回感じました。

「その時」が来てからでは遅いんですね。

そして「その時」は絶対事前申請してくれないのです。

「まさかこんなことになるとは」人生はそんなことだらけです。

だから、いつ「こんなことに」なってもいいように、生きるのが大切なことなんだろうなと。


自分の親は元気!そんな人にもぜひ。

「今日はどうしてた?困ったことない?」「いつもありがとう」

それだけで充分だと思う。


さぁ、季節は春です!

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コメント

急なことで、ホントに大変だったね…よく頑張ったね!!
お花と仲良しのお母さん(って私の中の印象)だから、この時期の一斉に萌え出ずるパワーを一身に受けて回復に向かっているんだな…って思いました。
家族とお花からの愛の力で劇的な回復も望めると思います♪
愛の力は何より強いのだ!!
仕事に看病に家庭に…と大変だけど、しーちゃんが倒れないように、出来るところは上手く手を抜いて、身体を大切にね!!

投稿: ぽんた | 2012年4月22日 (日) 08時38分

>ぽんたさん

ありがとねー(*ノД`*)
そうそう、母はお花好きなので、よくベランダのお花を持っていって飾っています。最近はそんなお花の絵も描くようになってきて、寝たきりじゃなくてそんな元気も出てきたんだなーと。

愛の力が強いのは、ぽんたさんのツイートで確認済み(笑)
お互い想い合ってるご夫婦の日常が伝わってますよ~~
そんなラブな日常の話を会ったときに聞かせてもらおうっと(〃´艸`〃)

投稿: しー | 2012年4月23日 (月) 07時43分

あーん、もう!
涙が止まらないよー。

突然起こったこと、前触れもなくて・・・本当にいつ何が起こるかってことは誰もわからないことなんだね。

涙って枯れないんだ、って思うくらいにいっぱい流して、いっぱい我慢もしたんだろうね。

今も毎日お母さんの顔を見に行って、きっとお母さんはそんなしーさんの頑張りを全部わかってるんだろうな・・・って思ったよ。

ステキなお母さんがどんどん回復を見せてくれて嬉しいね。良かったね。

投稿: june | 2012年4月24日 (火) 00時19分

>juneさん

え~~ん、ありがとねーーー。
1か月前、びっくりするほど泣いてた。1人になったらぜっと泣いてて「涙よ枯れてくれ…」って思った。

でもね、この間ランチしたとき、juneさんのお父さんの話、私も痛いほどわかったの。母が倒れる前だったらどれだけjuneさんが苦しんで、決断した後も苦しんで、っていう気持ちが今ほどはわかってあげられなかったのだと思う。
しんどい体験だけど、他人を理解する気持ち、障害を持つ人の大変さを学んだよ。

お互い、親も子どもも持つ身。がんばろうねー!
またランチしよう(そこかい)

投稿: しー | 2012年4月25日 (水) 08時26分

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